今どきの子どもたち

最近の子どもが昔の子どもとどう変わっているか考え始めるとキリがありませんが、面白いことが好きであったり、できなかったことができるようになるとうれしかったり、しんどいことから逃げようとしたり、そのへんは大きく変わらないように思います。むしろ、変わったのは大人のほうかもしれません。昔の大人は怖かったですから。

それでも強いて何か、というなら、良くも悪くも目立つのを避ける子の割合が増えたのではないかと思います。

もちろん悪目立ちはしたくないのは当然でしょうが、良いことで目立つのもいやがる子がいるのです。みんなの前でほめられるのもNG。

女の子同士で「〇〇ちゃんは可愛いからいいね」と言われた子が血相を変えて否定するところを見たことがあります。おそらく、まんざらでもないリアクションを取ってしまったときに「あの子は自分のことを可愛いと思ってる」という風評が立つのをおそれたのだろうなと思います。

 自分に関して肯定的なことを言う、あるいは自分のことが好きだと言うと、強烈な反応が待っています。「ナルシや」「あいつナルシやで」ナルシとは、ナルシストのこと。これは子どもたちの間ではかなりの魔力を持つことばで
す。相当な自己愛の持ち主というレッテルを張られ、なまじの努力では払拭することはできません。

 ここで僕なんかは、一つの疑問が浮かびます。
「なんで自分が好きやいうのが悪いことなん?」

 

 実際に彼らに投げかけてみても「だって、ナルシやから」というぐらいの返答しかかえってこないので、説教野郎に変身です。

 

 自分が好きで、何が悪いねん。みんな自分が好きやから、ほめられたらうれしいし、悪く言われたら腹立つんやろ。自分が好きやいう気持ちがあるから、そんな自分を成長させたくて努力するんやろ。だいたい大人になったらいろんな失敗したり人から怒鳴られたり責められたりの毎日や。もう消えたいと思うことだってある。そんなときに自分を守るのは、「自分は自分で、ひとりしかいない」という気持ちや。「自分が好きやからこのまま終わってたまるか」という意地や。誇りとかプライドと言ってもええかもしれん。それがなかったら、消えたいと思ってそのまま終わりや。自分なんて嫌いや、意味ないと思ってたら試練乗り越えられへんで。ええか。今の自分が嫌いというのはおるかもしれん。でも、もっとこうなりたいいう気持ちがあるんやったら、もっと自分を好きになりたいということなんやと思う。自分が好きやない人間は、人のことも好きになられへんやろう。それでええんか。ひとりしかいない自分やから、まず第一に自分が自分のこと好きにならんとあかん。ええとこ見つけんとあかん。人に認められるとかそんなんとちゃうで。たくさんの人にスゴイ言われる俺ってスゴイ、そんなんマジのナルシストや。それと「自分が好き」いうのはちがうんやで。

 

 ちょっと乱暴な展開の仕方ですが、ご容赦ください。

誰か一人を「ナルシ」「ナルシ」と言ってつるしあげるようなのが嫌いなのです。

ひとりひとりの「自分が好き」という気持ちを認めないようではいけないと思うのです。それが「他人を尊重する」ということにつながると思うのです。

また、自分のことが好きで、よりよい自分になりたいと常に思っていれば、自ら命を絶つようなことにもならないですむのではないかと、悲しいニュースを耳にするたびに思うのです

そんな簡単なことではないかもしれませんが、根っこの根っこでは全員が自分のことを愛していてほしい。そして、全員がほかの子の「自分が好き」という気持ちを大事にしてほしい、と思います。

 

藤岡教室四谷大塚NET板宿本部校

出口 弘

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