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保護者の声

5年の春、雲の上にあった灘中への道が開けてきました。

灘 Mくんの保護者(2019年合格)

息子の番号を見つけた時、これまでの様々な出来事が走馬灯のように・・・頭をめぐるわけでもなく、数日間は頭の中が空っぽでした。深い深い「安堵」を経て、今、これまでの若松塾での5年間を振り返ってみたいと思います。

 

息子は2Sからの入塾でした。幼児期から知的好奇心が強く、一度聞いた事は忘れないので誤魔化しのきかない子でした。4年生ぐらいから若松塾藤岡教室にお世話になるつもりでしたが、2Sというクラスの存在を知り、新しく正しい知識を楽しく教えて頂ける環境と考え、迷わず入塾させました。期待通り、楽しく通い始めました。

 

【2年生~4年生】日々の勉強は宿題のみ、「授業は聞いていれば分かる」と言っていたのを覚えています。当時使われていたテキスト「ペガサス」に沿ってリズムよく進む発問応答式の授業が、息子にとても合っていたようです。旅行のために塾を休むことを嫌がるほど、塾を決して休みたがりませんでした。暗記テストは満点目指して頑張っていました。

 

【5年生】春以降、全国模試や灘模試で上位の成績を取るようになり、灘への意識が芽生えました。相変わらず、家では宿題と暗記テスト対策の勉強しかしませんでした。内容はすべて授業中に吸収して帰っていました。

 

【6年生春】関西での立ち位置を知るため、灘模試を可能な限り受けました。息子には「B判定以上であれば灘を受けてもいい」という条件を与えていました。本人は灘を見ていたので、合格圏内にいる間は様子をみていました。

 

【6年生夏】居残りを始めました。負担の少ない日から1日ずつ増やし、慣れたころには毎日居残りをして、主に算数未消化の問題をなくしていきました。

 

【6年生秋】家での過去問演習が始まりました。ここから一気に負荷をかけてアクセルを踏み始めました。爆発的な集中力でした。少しでも隙間時間があれば、算数の新作問題を楽しそうに作っては父親を唸らせて喜んでいました。作成者と回答者の両方の立場に立ち、問題を解くときよりも頭を使って休憩していました。

 

【6年生冬】ひたすら入試形式の問題演習をしました。親の目から見ても、時間の使い方には隙がなく、問題に対峙する姿勢はまさにアスリートでした。時間内で、絶対落としてはいけない問題と捨て問との精査、部分点の獲得を中心に、腕を磨いていたようです。塾でのご指導と合わせて、息子自身がひとつひとつの経験を積み上げながら磨いていったテクニックだったと思います。

 

「灘は別格」「雲の上にそびえたつ存在」私にとって灘とはずっとそんなイメージでした。私の中のそんなイメージを徐々に変え、灘中を手の届く存在にしていったのは、息子自身でした。

 

息子は幼少期からあらゆる本を読み、知識を身につけながら歩き続け、若松塾に入ってからのやるべきことを真面目にしながらずっと一定のペースで歩き続けていました。振り返ることなく、焦って走ることもなかったので、あまり転ぶこともありませんでした。そうして歩き続けていると、5年の春、雲の上にあった灘中への道が開けてきました。息子自身が切り開いた道でした。

 

晴れて灘中学に合格することが出来ましたが、今は山の1合目くらいでしょうか。まだまだ上への長い道は続いています。希望する大学へ、そして将来就きたい職業への道を見つけるフィールドとして灘を選んだ息子が、これからも歩き続けていくことを願っています。

 

最後になりましたが、5年間、時には家族よりも長い時間を過ごし、温かくご指導くださり、支え続けて下さった先生方に心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。



 
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