【歴史】発掘調査の見学
板宿本部校の西側(出入り口の反対側)の家が2~3軒、取り壊されて広い更地ができました。
新しいマンションが建設されるとのことでしたが、工事に入る前に発掘調査を行うというお知らせが5月半ばに届きました。
コロナウイルス感染防止対策・安全対策・騒音粉塵対策に十分配慮すると書いてあります。
発掘調査だって!!
われわれのテンションは上がりました。
阪神大震災のあと、基礎工事をやっていたら弥生土器が出てきたというのは長田区で聞いたことがあったので、おそらくその年代のものでしょう。
ひょっとしたら見せてもらえるかもしれない。
およそ2000年前の暮らしの跡を。
びっくりするようなものが出てきたらどうしよう。ドキドキ、わくわく。
当然の話ですが発掘現場は立ち入り禁止で、発掘のほうは作業員の方々によって粛々と進められているようでした。
奥ゆかしいわれわれはこちらから見せてくれとアクションを起こすことなく、西に面した窓から指をくわえて眺めるしかない毎日でした。
気持ちが通じたのか、発掘調査が終わる日の前の日に「見に来てもいいよ」というお声がかかりました。
ちょうど6年生と5年生の授業がある日でした。
まず6年生をクラスごとに連れていくことにしました。
「おじゃましま~す」どう声をかけて入ればいいのかわからなかったのでひどく間抜けな挨拶をしながら現場に入ります。
重機がおしのけた土砂が盛り上がっている反対側に、角ばった穴が。
底には作業員の方々がいて、ヘラ状のもので土の中からものを掘り出そうとしています。
掘り出そうとしているのは、まるっこくて赤褐色で穴が開いた甕(かめ)のようなもの。
まごうことなき弥生土器です。
連れて行った6年生は弥生時代については学習済みのはずですが、「何百年前?」「古墳は?」とすっとぼけたことばかり質問しています。
うーむ憎むべきはコロナ禍による休校措置か。
作業されている方々はアホな質問にもニコニコと親切に答えてくださいました。
以下、説明していただいた内容を簡単にまとめたものです。
板宿駅の北側からこの辺りまでは「戎町遺跡」といって、弥生時代に人々が住んでいたあとが残っているんです。
ほらこの穴の側面に筋すじが見えるでしょう?
これは地層といって下から古い順にできていったものなんですね。
このあたりが室町時代、このへんが奈良時代ぐらいです。
この穴の底が弥生時代で、今掘り出しているのはお米を炊くのに使った鍋だと考えられています。
向こうには竪穴住居のあと(柱の穴)があって、ここに人が住んでたことがわかるんだけども、少し年代が下ると一面の田んぼになったみたいで、もうほとんど何も出てこなくなるんです。
掘り出したもの? 西神に埋蔵文化財センターってあるでしょう。そこに保管されます。
瓦礫を拾って持って帰ろうとするやつ(それは現代の瓦のかけらだよ)、蜂が気になってしょうがないやつもいましたが、子どもたちは土器に触らせてもらったり石包丁を見せてもらったりといった大サービスに大喜びでした。
阪神間の中学入試は理系の勉強に偏りがちですが、人文社会系に興味がわくきっかけになったらうれしいことです。
今回は写真多めで。盛り上がりが伝わるでしょうか…?